マリン、スポーツ

                            

 

 

 
 幼い子供の頃には私の家には父が使用していた和船、高瀬船と言われる船が有り、水神祭りの花火の日には両親と兄弟五人で那賀川に浮かべたその船で花火を見た思いでが有ります、子供心に船に対する憧れが有ったのかも知れません。
 私が本格的に船に興味を抱き始めたのは、昭和48年頃であったと思います、那賀奥のトンネルの施工が終わりやっと本社勤務に成り徳島大学工学部付近の都市整備事業の現場を担当している時代でした、現場は所長の私と部下に2名の工業高校をでた技術屋が就いていました、当時の私の給料では船を購入する等という事は、夢の又夢でした、それなら3人で船を作ろうと言う事で資料を集めて設計は私が担当して材料集めとか製作工具の借用先とかを部下の二人が担当して鋼製で製作に着手しました。
 現場の作業が終わると残業で鉄板を切断しそれを溶接して、約1ケ月で船は完成し吃水も計算通りで1センチの誤差も有りませんでした、しかしこれを動かすエンジンの購入予算が船に食われて足りなく成ってついにこの船で水上を滑走する事は無く手漕ぎの船として夢は消え去りました。

 それから2年位は遊びを止めて貯金しヤマハのTORI-10(トリテン)と言うメーカー製のボートを購入し25HPの船外機をセットして遊びました、結構幸せ感は有ったのですが、悲しい事は定員が2名なので自分の連れている部下の数名とは遊びに行く事が出来ませんでした。
 やはり友達何人かで遊びに行かないとおもしろさが有りませんでした、そこでヤマハのU-19と言う和船に25馬力の船外機を付けて購入し海で魚釣りや、貝掘り、水上スキーなど少しづつ本格的な遊びが出来るように成ってきました、この頃では遊びは全て海でした、船の事しか考えられず、資金が貯まれば次から次へと船を乗り換えていきましたが、最終的にはヤマハUF-33を購入してそれで落ち着いております。

 

      1世代, 自作鋼鉄船

      2世代, ヤマハ TORI-10   25HP  ガソリンエンジン   定員 2名   レッドイーグル

      3世代, ヤマハ U-19    30HP  ガソリンエンジン   定員 5名   ヨークタウン

      4世代, ヤマハ FIUSYU-22 115HP  ガソリンエンジン    隊員 9名   ハヤブサ

      5世代, ヤマハ FF-23   115HP  ガソリンエンジン   定員10名   インフィニティー

      6世代, ヤマハ U-25    50HP  ガソリンエンジン   定員10名   エンタープライズ

      7世代, ヤマハ UF-33   220HP  ディーゼルエンジン  定員12名   シィーレンジャー

 


 

 

 
 
 
         
 

 

 
 

 

第3世代 ヤマハU-19 30HP 陸置状態

 

第4世代 ヤマハフィッシュ22 115HP ハヤブサ 斜め前から
 
 

 

 
         
 

 

第4世代 ヤマハフィッシュ22 115HP ハヤブサ 真横から

 

第5世代 ヤマハ FF-23 115HP インフィニティー
 
 
 
 

 

阿南潜水溝田社長とスキューバー訓練の私

 

 
第7世代 ヤマハUF-33 220HP シーレンジャー 陸置き状態
 
 
 
 
 

 

阿南市大潟港に係留のシーレンジャー1

 

 
阿南市大潟港に係留のシーレンジャー2
 
 
 
 
 

 

阿南市大潟港に係留のシーレンジャー3

 

 
操縦席の電子航行機器のいろいろ
 
 
 
 
 

 

シーレンジャーの船内機器の様子 GPSプロッターとレーダー

 

 
シーレンジャーの船内機器の様子/GPSプロッター
 
 
 
 
 

 

シーレンジャーの船内機器の様子/深度300m魚群探知機

 

 
シーレンジャーの船内機器の様子/操縦席付近の状況