「Qさん」のホームページ

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更  新  履  歴

 
 
 
 
 
 
 

2014/06/19

無線移動計画-10 離島伊島
 
2014/06/19
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目  次  項  目

     
20歳〜工事長まで
 
工事長〜土木部長
 
工事本部長
 
専務取締役
出会いと別れ   Qさんの仕事   Qさんの経歴書   心に残った仕事-1
     
     
回路図,取扱説明-5   無線機と測定器-6   無線と友人たち-7  
アマ無線参考書-9   無線移動計画-10   アイボールの各局  
     
      我が命尽きるとも
           
     

 

 


『Qさん』の生涯現役

 

 私も人並みに「人の一生なんて長い様で本当に短いものだ」

とつくづく感じる 年頃になりました。

若い頃は自分の人生を非常に長いものだと思いこみ、

中年血気の頃はそんなこと自体を考えることなくガムシャラに働き、

老齢の域に達した現在始めて自分の人生は短いものだと考えるようになりました。

 人の一生は70年とか75年とか言われている今日、

私の場合でも人生の終着点まで健康に調子良く過ごせるとして残りの

年月は両手で数えるほどし有りません。

 人は何時かはこの世から消えていきます、

幾らもう少し生きていたいと願っても、

泣いても、叫んでも、いくら偉い人でも、金持ちでも、幸せな人でも、不幸な人でも、

それこそ天命と言うべきか「神のみぞ知る」で末路は皆同じで少しの

灰と大気への煙で、THE END です。
 

 私たちが住んでいるこの地球には数十億とも言われる人が生活し、

現在も生まれて来る人、死んで行く人、悲喜こもごもな行為が私たちの

余り意識しないところで延々と毎日繰り返されていると思います。

 縁あって私も数十億分の1の人間としてこの世に生を受け60数年を過ごして来ました、

それ成りに喜びや悲しみ、人に言えない様な苦労の毎日でしたが、

私が終演を迎えて煙に成った後どれだけの人が「苦しみながらも家族を守り、

両親や兄弟、友達を大切にして一生懸命に生きた一人の人間としての私を」

記憶に残してくれるのでしょうか。

 私の血が繋がった家族であったとしても年月の経過と共にやがては

私の事も忘れられてしまうものだと思います、

人の生き方はそれぞれですから「名も無き路傍の一輪の花のように可憐に咲き」

そして静かに散っていくのも一つの人生、一つの生き方かもしれません。

 私は「さして世の為、人の為に成るような人生」を送って来たとは思ってませんが、

家族を守るためには必死で頑張って生きて来たと自負しております。
 
 
私の幼少期の記憶に「あすこのおっちゃんは声が大きいけど優しい人だったとか、

奥さんを大切にする人だった」とか心のどこかに数十年前に

この世から消えていった近所のおじさんや、

おばさんの記憶が有るように、私が私の祖父や祖母の事を記憶しているように、

誰かの心の片隅に「私という人間が頑張って生きてきた」事を記憶されていたい、

忘れないで欲しいと思うように成りました。

 私が死んでしまったその後でも友人や家族には時々思い出して欲しいと思うように成りました、

昭和という戦後の混乱期を徳島の田舎で成長してきた私の考え方や生きざまを

残された短い時間で誰かに伝えたいと思い、

残された自分の人生の最後の最後まで前向きに家族や友人たちを

大切にしながら「生涯現役」を貫き生きて行きたいと思います。

 家族や少しでも多くの友人たちの心に「生きた証を残して行きたい」と思います、

そんな気持ちで私の育ち歩んだ生きざまの一端を「道しるべ」として

ここにホームページに作成しました。

....ちょっと重すぎるかナ。

 

 


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