アマチュア無線と私-2
アマチュア無線の友人達

 

 

 

アマチュア無線局開局
 

 昭和41年アマチュア無線局JA5CHQを開局する、最初の交信は3.5MHZ A3で弟のJA5CBB、JA5YCH、で有り

その後高知県馬路村のJA5BFM圃木山さんが他人での最初の交信相手で有りました。

 その後JA5BHZ(近藤さん)、JA5BKK(笠井さん)、JA5BIV(内原さん)、JA5BIF(島さん)、など

阿南工業高等学校のアマチュア無線クラブメンバーとの交信がしばらく続きました。


JA5HT局・JA5LQ 局との出会い 
 

 3.5MHZで運用を続けていたある日、羽ノ浦町の農村集落有線電話の管理者から無線の電波が

有線に乗って電話交信時に迷惑がかかっているとクレームが有りました、

私の屋敷にはアンテナに平行して3本の有線の電柱が建っており距離もDPと数メートルしか離れていない様な

状態でした、 電柱の借地代も貰っていなかったので再度クレームを言ってきた管理者に電柱を引き抜いて

有線をよそに迂回しろと 言って取り合いませんでした。

 それから半月ほどしてJA5HTと言う人が突然に私を訪ねて来ました。

隣り町那賀川町の有線の管理者をしていて、私のところへクレームを言って来た人と友達との事で

クレーム問題を軟着陸させたいとの事でしたが、

私は「有線の方で電柱を移転するか、処理をして有線のインターフェアーを防止する」しか

無いと結果的には話を飲みませんでした。

 その後JA5HTと地元の有線管理者が自宅の有線の電柱まで来て何度か私が送信テスト繰り返す中で

電柱の上に有るボックスの中へ器具を入れて処理し、その後クレームを受ける事は有りませんでした。

 弟のJA5CBBはJA5HTの事は良く知っているようで、「結構難しい人のようだ」と言ってましたが

数日してJA5HT局とJA5LQ局がシャックへ訪ねて来てくれました。

JA5HT(庄野寿さん)・JA5LQ(西田淳訓さん)と言う大先輩でした、年齢もそれほど違わなかったので

この3人でアマチュア無線を語り夜がが更けるのをを忘れるほどでした、

爾来私ども3人は何事も相談できる大切な友人に成りました。

 

電波形式の変遷
 

 アマチュア無線にも技術発展の波は押し寄せてA3の時代からSSBの時代が到来してきました。

送信機は八重洲無線が初期に出したFL-50のキットを購入し組み立てました、

受信機は小林無線の遠洋マグロ漁船が使っていた業務用の受信機をJA5BHZが大学へ行っている間

借用して使っていました。

 現在のリグでは考えられないような問題が送信機で発生しました、

運用時間が経ちしばらくするとキャリアが漏れ始めるのです、

受信機でモニターするとピーというキャリアのも漏れを検知します、

SSBの発生部は八重洲無線が作ったTYPE-F SSB GENERATORでベークのプリント基板に組み立ててありました、

真空管3本の構成でフィルターはCRYSTAL FILTER TYPE XF-5 FREQ 5173KHZを使っています、

ダイオード四本使ったリング変調回路あたりが可笑しいと思い、

色々と調整しましたがキャリア漏れを巧く止める事が出来ませんでした、

JA5HTに相談するとJA3AQN(大塚さん)を紹介してくれました、

大塚さんが教えてくれたようにダイオードの特性が揃ったものを秋葉原の部品屋さんに特注して手に入れました、

そしてちゃちなエアバリコンをメーカー品に取り替えて再度調整を繰り返し、

ほぼキャリア漏れを止める事が出来ました。

 数年この組み合わせで運用していましたが、トリオからTS-510と言うトランシーバーが発売されたので、

それをすぐに購入し運用を始めました、 3.5MHZをメインバンドとして運用していました。

JA5CBB( 末の弟 )
JA5HT (庄野さん)
JA5LQ (西田さん)
JA5AUR(一木さん)
JA5CFV(阿地さん)
JA5DAK(板東さん)
JA5BBU(鈴田さん)
JA4AHB(今城さん)
JA4ABY(多賀さん)
JA4CRI (奥田さん)
JA4CSY(川西さん)
JA2BHV(澤 さん) の皆様には特にご懇意に相手した頂感謝しております。

 
このころ徳島・高知・愛媛の各県で3.5MHZにアクティブな局が集まって「3570kHZ会」を

作り一年一回のミーティングを各県持ち回りで実施していました、

午後7時頃から10時くらいまで毎日のようにラグチュウしていた各局です。

JA5FE (岡本さん)
JA5BFM(圃木山さん)
JA5BTJ(坂本さん)
JA5CAK(山本さん)
JA5CFV(阿地さん)
JA5DAK(板東さん)
JA5DOA(川端さん)
JA5CNZ(西野さん)

 私は高知県山田でのミーティンクと日和佐でのミーティンクの2回の参加の後、

勤務していた会社の人事移動で大阪支店へ転勤に成ったのでその後の参加は出来ませんでした。

 

144MHZ帯の黎明期
 

 50MHZのアンテナを自動車のトランクに付けて50MHZ FMの移動運用が最盛期のある日、

JA5HT(庄野さん)が自宅へ訪ねてきました144MHZでの通信をしようと言う事で相談に来たのです、

一人では面白くないので最低で4〜5人で始めたいとの事で取り敢えず、

JA5HT・JA5LQ・JA5CBB・JA5CHQの4人で対応していく事にしました、

HTさんとLQさんのリグはHTがタクシー無線の中古の機械を段取りし、

私のリグは懇意にして頂いてた宝城通信の社長からNEC製の150MHZ帯の中古の無線機をいただき改良を始めました。

 JA5CBBはそれも自分で手配してナショナルのタクシー無線機の中古を手に入れてました、

中古のタクシー用無線機は20数本の真空管で構成されていて、

電源もDC13VからバイブレーターによってAC100Vに庄圧されている物でした、

業務用の機械ですから勿論周波数も1チャンネルの固定で水晶制御でした、

チャンネルの決定はJA5HTが東京の友達からFT-243の水晶を4人分送受それぞれ手に入れて支給してくれました、

その水晶を逓倍すると144.480MHZで送受できました、

無線機の改良はまず最初にのJA5HTが行いメーカーは違っていたが回路構成は基本的にはあまり変わらなかったので、

それぞれが真似て改良を完了しました。

 その当時阿南市では我々以外に144MHZ FMを運用している人は居ませんでした、

徳島でも良く聞こえていたのはJA5IP(大岸さん)・JA5DAK(板東先生)の2人でした、

対岸の和歌山市では10数局が結構アクティブにコンタクトしているのがワッチ出来

144.480MHZ1チャンネルのタクシー無線機の改良機で一年近くローカルラグチュウを続けていました、

その頃に成りメーカー製のFMハンディー機が発売されて都会では144MHZ帯も多チャンネル化が進んでいるようでした。

 

チャンネル トラブル
 

 私たち4人はタクシー無線機の改造リグでローカルラグチュウを毎晩の様に続けていました、

しかし時代は144MHZ帯にもメーカー製のトランシーバーやハンディー機が販売されて、

購入した運用者も増え続けている現状でした、

メーカー製は多チャンネル化されておりそのうちにJARLが

私たちが唯一使っている144,480MHZを呼び出しチャンネル「メインチャンネル」に指定しました、

私たち4人はお構いなしに144.480を使って居ました、

それ以外に変わるチャンネルが無いわけですから、

そのうちに徳島の局が名チャンネルの運用は遠慮して欲しいとの申し入れが有ったので、

しばらく運用を遠慮したり、チャンネルが空いている時にコンタクトするようにしていましたが、

私とJA5HTが交信していた時に徳島の局が「じゃまに成るのでメインからでていけ」と言ってきました、

「JA5HTがメインチャンネルに指定される前から使っているので代われと言うなら、

代わるそのチャンネルの水晶を持ってきてから言え」と反論しました。

 私もそうだなと同感でした、JARLがどういう理由で144.480を呼び出しチャンネルに指定したのか、

その理由は知るよしも有りませんでしたが徳島の局の物の言い方に少し頭に来てました、

JA5HTが「そんなら終わっておくか」と言ってQRTしました、

徳島の局が「いくら注意しても効き目の無いやつだ、家も解っているし話を付けに今から乗り込んで来るわ」と

言っているのが聞こえたので、「いつでもいいぞ来るなら来い」と私がQRTしたJA5HTに代わって答えると

「今から行ってやるから待っとけ」と徳島の局、私もQRTして準備しながら会社にも明日の休暇届けを

出して待つ事にしました、1時間ほど待っても一向に来ませんでした、

そのうちに電話が掛かってきて「先ほどはスミマセンでした」と謝り後くどくどと言ってましたが、

私は「無線であれだけのことを言ったのだから、謝るなら無線でオンエアーで謝るのが筋だろう」と言いました、

色々とトラブルは有りましたが大した事件には成らず現在に至って居ます。

 

144MHZ FM多チャンネル化
 

 トラブルの後しばらくしてローカルの4人はそれぞれメーカー製の多チャンネルトランシーバーを

手に入れて運用を始めました、

その頃私は会社で工事長に昇格しいくつかの現場を統括する立場に成り、時間的余裕も出来てきました。

 その後も四人でローカルラグチュウに頑張っていましたが、

多趣味の癖で仲間数人とバンドを作り毎夜練習するように成り、

そのうちに無線のクラブを作ろうと言い出し、「グルッペせこいわ」という会を作りました、

私が勤めている会社の連中が10人位とJA5BHZの友達10人位でスタートしました、

アマチュア無線の免許を持って居る者は数名でしたから、

JA5BHZが中心となり講習会を開いて免許を取らす事にしました、

ほとんど全員がアマチュア無線の免許所持者となり、

バンド活動に遊びに何か理由を付けてはパーティーを開いていました、

その頃のメンバーは現在ではほとんどアマチュア無線からリタイヤしています。

JA5BHZ(近藤さん)
JA5BKK(笠井さん)

JA5BIV(内原さん)
JA5CHQ( 本 人 )
JH5MKX(川原さん)
JH5MLG(山崎さん)
JH5MLJ(倉内さん)
JH5MLK(山田さん)
JH5MLM(仁尾さん)
JH5MLO(竹田さん)
JH5MLQ(浅岡さん)
JH5OZE(BHZ.XYL)
JF5OMW(CHQ.XYL)
    (赤沢さん)
    (高田さん)
    (尾崎さん)
    (土佐さん)
    (土佐.XYL)

他にも沢山開局した人は居たけれど呼び出符号が定かでなく記憶に残っていません。

 

 





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