不 思 議 な お 話

 

 

 建設工事に携わって四十数年が経過した、

色々な現場もこなしてきたがこの世の中には常識で判断出来ない様な、

考えられない様な不思議な事が起きる事が有る、

私が経験した不思議な事を此処に記しておきたいと思います。

 

 

お地蔵さん 夢の中のお告げ
 

 

 私が建設会社に入社して三年ほど経った頃であったと思いますが、

その頃私は現場への通勤にはメグロの250ccのオートバイを使用していました。

 ある朝いつもの様にオートバイで現場へ出勤しようとした時、

母親が突然家から飛び出してきて「昨夜夢にお地蔵さんが出てきて、

お前の息子はオートバイに乗っているがあまりに傍若無人な運転をしている、

良く注意しておかないと大事故を起こして死ぬかも知れない」

と夢の中でお告げをして消えたらしい、

お地蔵さんの前をオートバイで走る時には徐行して頭を下げて走って頂戴と言われた。

 私は何の返事をするでも無しに黙ってオートバイに跨り現場へ出発した、

現場への道中には道ばたのお地蔵さんは何カ所も有りましたが、

気にするでもなく暴走運転で現場へ到着しました、

自分の心の中では何カ所ものお地蔵さん毎に徐行して走っていては

オートバイに乗っている意味が無いだろうと思っていた。

 現場は阿南市の椿泊の小吹河原〜泊まりの最奥まで狭隘な道路の

コンクリート舗装の工事を担当していた、

今日だってどうと言う事は無かった、

夢のお告げと言ってもお地蔵さんがものを言うのかとも思った、

午後5時を過ぎて現場の作業も終わり自宅へオートバイで出発した。

 阿南市の学原の袖もじきと言われる所にさしかかった時、

私のオートバイのすぐ前を徳島電気工事のトヨエースの平ボテ車が走っていた、

お地蔵さんの陰から突然に子供が犬に引かれて道路に飛び出したらしく

前を走るトヨエースが急ブレーキをかけた、

私も慌てて後輪のブレーキペタルを思い切り深く踏み込んだ、

後輪が横にスベリだしたので前輪のブレーキレバーを強く握り込んだ

プツンという音と共にブレーキレバーがフリーに成った。

 その瞬間ドーンという音までは記憶が有りましたが、

その後気が付いた時は阿南市内の鈴木病院のベットの上でした、

前輪のブレーキワイヤーが切れて後輪を滑らせながら前の車に突っ込んで

オートバイの前輪フォークが折れて私の身体はトヨエースのボテーの中に飛んで

失神したらしく前の車の運転手が病院まで運んでくれたとの事でした。

 お地蔵さんの前で交通事故を起こして5日ほど入院して

無事に退院する事が出来た、

しかし私は入院していた5日間は身体の痛みと闘いながら、

何故、何故と考え続けた、何でお地蔵さんの前で、

夢のお告げと言われたとおり事故を起こしたのだろうと不思議で夜もグッスリ眠れない日が続いた。

 前の車の修理や病院の入院治療費などすべて処理が終わってから、

母親に「もう少し親の言う事を素直に聞くから」と謝った、

それからは所々に有るお地蔵さんが私の運転のスピードダウンの

キーと成って必ずお地蔵さんの前では急いで居ても

徐行し頭を下げてお地蔵さんに黙礼して通行する様にしています、

それからはたいした大事故にも遭わず現在に至っています。 

 

 

 
  15日の支払日

 お地蔵さんの首が転げていた。

 

 

  私がくぐい橋の現場から椿坂トンネルの現場へ着任し

底設先進導坑の掘削を開始し始めた、

トンネルの掘削に従事する坑夫は徳島県内出身者と新潟県からの出稼ぎの坑夫の2班で施工していった。

 坑夫達への給料の支払いは私の勤める会社の下請け会社が

毎月の15日と月末の30日の月2回行っていた、

導坑掘削が20m程進行した給料日の午前中導坑の木製支保工に使う

松丸太を運搬中に跳ねた松丸太により坑夫の一人が右足を骨折する事故が発生した。

 最初はあまり気にもせずトンネル現場の1事故として処理していたが

次の月の15日にも坑夫に事故が発生しました、

又次の15日の給料の支払日にも坑夫に事故がありました。

 15日の給料日毎に5回連続で事故が発生し続けました、

その内坑夫達の手元をする人夫たちがそれに気づきその日の出勤を控える様になってきました、

下請けの社長に呼ばれて現場の状況説明をして欲しいと言われ下請けの会社へ説明に行きました。

 下請けの大世話役と社長と奥さんの3人が私を待っていました、

事故発生の状況を個々説明した同じ日に決まった様に

事故が起きるのは何かの祟りだろうかと私が言うと、

社長が「今の時代にそんな事は無いよ」と言って大世話役に同意を求めました。

 それまで黙って聞いていた奥さんが「トンネルの山の上に行った事有るの」と

聞いてきました掘削を始める前にはトンネルの測量のためトンネルの線上を何度か歩いていたが、

昔の椿坂の巾1.0m位の細い道が続いていたと説明をしました。

 奥さんが「昔の人だけが通る位の細い道の峠には必ず旅人を守るお地蔵さんが有ると思うの」

一度どうなっているか峠に登って見てみたら」と言いました。

 翌日、下請けの大世話役と私で20分程かけて峠に登ると道沿いにお地蔵さんが立っていたが、

可笑しい事にお地蔵さんの首から上が無く成っているので、

二人がそこらを探してみると峠より5m程下の草むらに首から上のお地蔵さんの頭が転げていました。

 無線で私の部下に水とセメントを持ってくる様指示してしばらく待っていました、

水とセメントが来たのでお地蔵さんの首を綺麗に洗って

セメントと砂を混合し胴体と首を接着しました、

3人で首が就いたお地蔵さんに手を合わせて事故が起きない様祈願した。

 お地蔵さんの下で発破をかけたために、

その振動でお地蔵さんの首にクラックが発生しやがて首が胴体と離れて落ちたのだと思います、

「お地蔵さんが早く首をつないでくれと」我々に信号を送っていたのでしょうか。

 それ以後このトンネル施工中に事故が起きる事は有りませんでした、

考えてみると常識では考えられ無い様な事実がある事を身をもって経験いたしました。